第10回  軽便鉄道というものは・・
 先日、「軽便鉄道」について、鉄道知識のさほど持ち合わせていない一般の方々にレクチュアする機会があった。たとえば伊予鉄道の「坊ちゃん列車」を以って、これぞ軽便らしい風情が楽しまれている実例ですよ、などといわねばならないほど、軽便鉄道なるものは姿を消している。いや、消しているだけならばいいのだが、たとえばなまじ現存していることから、立山砂防だとか三岐鉄道とかをして、単純に線路幅が2呎6吋だからこれぞ軽便鉄道の実例ですよ、というのはあまりにもわれわれのイメージする軽便鉄道とかけ離れている。まだ、たとえ線路幅は狭くなくても「坊ちゃん列車」の方が風情としてはよほど軽便鉄道である。
 われわれとて、軽便鉄道全盛のときなどは知ることなく、ホンの最後の余韻に触れられただけなのだが、それでも、沼尻の道路脇の軌道だとか、井笠や頸城の木造客車など、ああ、これが軽便鉄道の最後のシーンなのだなとかつてを夢想したりしたのだった。
 余談になってしまうが、のちに、インドのダージリン鉄道の街角をいく蒸気機関車などに異常なほどの興奮を憶えたのは、見損なっていた軽便鉄道の情景は斯くなりや、と実感したからにちがいない。
 枕木も半分泥に埋まってしまったような軌道敷、細く頼りないヘロヘロの線路を、小さな機関車が客車を牽いて走る。それがわれわれのイメージする軽便鉄道の本質である。だから、機関車や車両に対して線路が立派すぎるのは、どうしても軽便鉄道の雰囲気としては認められないのだ。畳の上のお座敷運転では Nゲージ線路で間に合わせているナロウだとしても、もし固定レイアウトをつくるときはもう少し細い、できればウェザード線路を使いたい。
 閑話休題、それと同じことが「TT9」についていえる。Nゲージの車両には存在感の大きすぎるように感じられる線路が、「TT9」車両では実にいい感じに映る。それを見てしまったら、もうNゲージに戻れなくなった、と友人のひとりは言ってくれる。彼の審美眼、嬉しいことである。
 で、結論はそこではない。昨今の趣味誌に出てくる軽便鉄道、ナロウの模型。トロッコや森林鉄道は見掛けるチャンスも少なくないが、軽便鉄道らしい軽便の模型はとんと見る機会が少なくなっているような。軽便は遠くになりにけり、なのだろうか。あれはあれで素晴らしい世界なのになあ。
いのうえ コラム