第11回  続 軽便鉄道というもの
 軽便鉄道の実例はさておき、「軽便っぽい」鉄道となると、それは現存している2フィート6インチ軌間の鉄道というよりも、もっと違うところにあるような気がする話を書いた。つまり現存するからといって、もと三重交通、近鉄の三岐鉄道とか立山砂防などを以って軽便とするのはとても違和感がある、と。
 じゃあ、軽便鉄道の最高情景はどこ? と訊かれて、仲間内ではやれ頸城だの、やれ井笠だの名前を挙げ合ったのだが、それとて軽便鉄道の歴史からみたら、ホンの最後のひと駒に過ぎない。この全金属製のディーゼルカーが小さなコッペル+木造客車になれば(井笠の例ね)、そんな想像を巡らして、佳き時代の軽便鉄道を夢想した。そういう想像ができただけでも、頸城や井笠の存在は大きかった、というべきなのだろう。
 結論的にいうならば、そういうイメージの世界に飛躍して初めて、軽便鉄道というものが具体的な形になって身近かにやってくる。いや、禅問答をしているのではない。かつて、先輩方が「心象鉄道」と称していくつかのイメージ定着のための記事を掲載した(季刊「蒸気機関車」キネマ旬報社;古書店で見つけたら入手されたし)こともあるくらいで、要するに軽便鉄道などは、ある鉄道のある車両をスケールで再現するよりも、それらしいフリーランスの方が「軽便的」であったりする。つまり、その「よい加減」の手法自体が「軽便的」。イメージを膨らませてそのイメージを定着させることが軽便鉄道模型としてより高見にある、という。その当時はなかなか理解できず、一所懸命コッペルの寸法を巻き尺で測って、再現を試みたりしたものだ。それが、たとえば「エガーバーン」の2号機(ヘンシェル風)を見て、よりいっそう日本の軽便的、と感じたり、最近では杉山模型の「ガーラット」を見てこんなの日本にあったらなあ、と感じたり、とにかくフリーランスで構成された「軽便鉄道的」なものが頭の中を駆け巡るようになった。
 閑話休題、心象的軽便がひとつ。それとは別に、懐かしい国鉄の鉄道情景を再現したい。それが「TT9」なのである。きちんとしたスケール感のある模型は、模型が実風景を連想させてくれる。大型の16番機関車や列車は、机の上で走らせるにはちょっと大きすぎる。それに線路の細さを知ってしまったらやはりファイン・スケールものがいい。たとえ実物を経験していなくても、模型から実物を身近に感じることもできる・・これについては、「つづく」としたい。
いのうえ コラム