第8回 実物は模型のためにある

先回のタイトル「模型は実物あっての模型である」(タイトルが抜けていたりして、モーシワケナイ)につづいて、さらに話を進めると、もはや、「実物は模型のためにある」などといってしまえたりする。というのも、鉄道車輌の中でもとりわけ蒸気機関車を愛好するイノウエなどからしてみれば、懐かしい鉄道情景の再現を模型で果たしたい、という大きなテーマが存在するのだけれど、蒸気機関車が一般の営業運転を終えてもう35年。蒸気機関車を知らない鉄道好きも少なくなくなっている。メカニカルなロッドやヴァルヴギアの動き、ダイナミックなサウンド、それに無骨なスタイリングなど、蒸気機関車を礼賛するのは今も昔も変わりないようにも思えるが、実際に活躍していたシーンを知っているか、いないかは決定的にマインドがちがう。

もちろんC622は好きだけれど、実際に自分が見たC6210だとか、テンダー変形機のC6238だとか、世間の人気、評判(C6210などは状態が芳しくなくて、平機関区では嫌われていた)とは関係なく好きな機関車があるし、やはりC56型など自分が好きだったローカル線の機関車が欲しくなったりする。これなど、あくまでも実物の再現としての模型、という意味がお解りいただけよう。C56型でいったら、小海線のC56144、149、150、159をはじめとして、元大糸線のC56126、130、七尾線のC56123、124、153、154、お召を牽いたC5691+92、宮之城線のC56156、157など、全部揃えたい気分になる。機関庫に何両かが屯しているシーンなど、もう夢に描いてしまえるほどだ。

そう、これなぞ実物がなくなって40年近いのに忘れられないシーン、いまとなってはその実物は模型のために存在していたのではないか、と思えるほどある種、昇華されてしまっている。ものを創造(クリエイト)するのにもっとも大切な発想の原点、それが実物のシーンであったりする。うーーーむ、眠れぬままの秋の夜更け。
いのうえ コラム