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■What's Enharmonic

当バンドの名称は、言うまでもなく「手塚裕亮 Enharmonic Orchestra」です。
さて、「えんはーもにっく」と聞きなれない単語の意味は一体・・・・?
という声を多く聞きますので(主にメンバーから・・・)、ちゃんとここで明記しておこうと思います。

えー、まず辞書を引いて見ますと「異名同音の:嬰ハと変ニのように名称は異なるが平均律では同音である音についていう」
と載ってます。(プログレッシブ英和中辞典より)
もうちょっと身近な表記に戻して考えてみますと、ド#とレ♭って同じ鍵盤押しますよね。
このように、呼び方が違うけど同じ音、っていうのをenharmonicと言います。
楽典上、正確には違うかもしれませんが、そう解釈しました(笑)

で、
・当たり前ですけど、同じ譜面でもその解釈は沢山ある
・個人個人の沢山の解釈が、お互い主張しつつも邪魔にならず、同居したままカッコよく響いたら楽しそうだなー

そんな思いをこめて、この名前を付けました。
コンボでの演奏ではともかく、ビックバンドとなるとどうしてもアンサンブルを重視した結果、
音源やリードプレイヤーの演奏を参考にしたオーケストレーションになりがちだった・・・・
そんな自分の大学音楽生活を通じての体験が、この思いの出元です。

根がラテン系の人と4ビート系の人を混ぜているのもその辺に意図があったりします。


学生バンドをやっているとどうしてもバンドの技術的な完成度を重視してしまいがちなのですが、
それだけが楽しさではないよ、っていう当たり前の事を、僕らのライブを通して当たり前に感じてもらえれば幸せです。



■手塚裕亮

僕個人の自己紹介です。

1982年、香川県で生まれる。
幼稚園前後、神奈川と香川を行ったり来たり。
小学校から神奈川に固定
音楽とは全く接触のない小学校時代。(お受験だったのよ・・・)
歌番組なるものを初めて見たのは小6の秋だったような

中学3年の時
父親が持っていた無名のよくわからないアルトで、授業で吹く事になる。
これがサックスとの出会い。

高校では吹奏楽部に所属。
高校2年のとき、チケット頂いたきっかけで「山野ビックバンドジャズコンテスト(以下ヤマノ)」に行き
その圧倒的な迫力に衝撃を受ける
一方、「サックス吹きはjazzでなきゃ」という強迫観念の元ジャズを聞き始める

大学入学と同時に、ジャズ研と慶應ライトミュージックソサエティに所属。
慶應クロスオーバー研究会、KBRモダンシャックスといったサークルにも参加。
ライトは半年で脱走

2年次では慶應KMPnew Sound Orch.でJrバンドのバリトンサックスでトラ(ヘルパー)をやらせてもらう。
2.5年次、東京工業大学ロス・ガラチェロスに3rdアルトとして呼ばれる
同年4月、当時の1stアルトが脱退せざるを得なくなったため1stアルトになる
同年8月、憧れのヤマノ(33回大会)に初参加。5位入賞。
3年次以降、慶應義塾大ライトミュージックソサエティ、慶應義塾大KMP、
日大リズムソサエティオーケストラ等の学生バンドに御世話になる

2006年を以って大学卒業、晴れて社会人。


■History


2003年  11月   慶應学園祭(三田祭)に、TEOの雛型になった「明るい鰻計画」出演。

       12月   東工大ロスガラOB島本信嗣氏率いる「シマモトシンジケート」と対バンの話が持ち上がる。

2004年  1月   対バンが「シマモトシンジgate」に変更になる。
         この時点で、現在のT.E.O.の原型が完成する。

       3月   赤坂B♭にて、T.E.O.初ライブ。シンジgateとの対バン。初ライブにして200人近い集客となり、立ち見の方も沢山。大盛況。感謝。

      11月   慶應三田祭に参加。慶應KMPさんにお世話になる。

2005年  3月   赤坂B♭にて初の単独ライブを敢行。またも立ち見がでる程の大盛況。ありがとうございます。

     10月  慶應理工学部学園祭(矢上祭)にオープニングアクト出演。

           東工大学園祭(工大祭)に出演

     11月  慶應学祭(三田祭)に出演

2006年  3月  赤坂B♭にて2ndソロライブ。